第4話/「資本主義」はまともに存在していない


お話の時は少し戻って、うさぎときららの出会いについて語られる。

うさぎは、きららやトゥラルパンと出会う前に「ボトルの水」のことを考えていた。


リサイクルマークの数字のからくり
微妙な違いのイメージにあふれ、選ぶ時間ばかりが増えていく灰色の世界
灰色は市場の力が働かないようにねじまげる

プラスチックはリサイクルするのに多大なエネルギーを使う
灰色の思いをうまく形にする、悪めがねと専門家


水、そしてプラスチックのことを話し合いながら、友達になったふたり。



この前、我が家のプリンターが壊れました。

とある精密部品が、長年(5年)の使用により磨耗したらしい。直すのにかかる費用は、九千円。同じシリーズの新しい機種が、一万千円。

プリンターメーカーの人「お客様のお使いの機種は、今後、サポート対象外になります。新しいものを買ったほうがよろしいかと…」

『うさぎ!』通りの反応。


機械はなおすことを前提に売られていない。パソコンも、プリンターも、ファックスも。温水便座も、掃除機も。

これがズボンやシャツや布製品だったら、まだ、なおす余地もあるのだけど、プラスチックは素人が手を出せない。

製品がプラスチックばっかりで作られているのって、なおす余地をなくすことも、狙いのひとつなのかも、と思った。


それから参考資料のところで出ている言葉、
LET THEM EAT POLLUTION
(環境破壊を「貧しい」よその国に移す)
というのが、生々しくってどきりとした。

灰色は世の中の効率を悪くする…それに気づいてしまってから。

どうしてその言うなりにならなくちゃならないんだろう、ともやもやしている。


「新しいものを買ったほうが安い」
は、私にとって都合のいい言葉ではなくなった。

できる限り、抵抗するべき言葉であると、思うようになった。


うさぎくんが、革靴を靴屋さんでなおしてもらうように、万年筆にインクを詰め替え大事に手づくりの袋へしまうように。

そういうことを私もしていきたいと思った。


それから小さな店は、私の住む水の街でも、隅に追いやられている。

商店街に並ぶそれらの店は、シャッターが閉じられていることが多い。

その中でもかろうじて営業している自転車屋さん、花屋さん。珈琲豆屋、お肉屋さん、文具屋さん。そういうところを「よく成り立ってるなあ」なんて思っていたけど、そういうお店は実際に使ってみると大きなチェーン店より頼りになることが多いのだった。

ぴかぴかのショッピングモールで買うのは手っ取り早い、小さな店で買うのはちょっと手間がかかる。でも目に見えない「おまけ」がいろいろついてきたりする。使い方について後日聞くことができたり、「前にここで買った同じものを買いたいのだけど」と言うと「ああ、これね」とお店の人が覚えてくれてたり。

それにこの街ではショッピングモールに新参者だけでなく、古参の老舗のお店も出店していたりするので、ショッピングモールと老舗のダブル効果を得られることもある。

「その道一筋」のお店たちは心強い。生活を、支えてくれると思う。

そういうことに気づけた、第4話でした。


水。私たちの水は、これから、どうなっていっちゃうんだろう。


葉や豆から淹れたお茶がすきだけど、スーパーのちらしには緑茶の2リットルペットボトル・6本入りなどが大きく宣伝され、見ていると高齢の方が割とたくさん買っていくように思う。

日常的にペットボトルのふたをひねる状況、か。

同じように、あのがさがさと鳴るプラスチックのお菓子が入った袋も、時々こわいなあ、と思う。機械的だなあ、と。


また、私の街は湧き水の汲み場が街中にあって、その大きな空のペットボトルを何本も持って、水を汲む人びとの姿も見られる。

水場では会話が始まる。「かわいいね、何歳?お魚がいるね」「その容器どこで買ったの?それいいわね」…。


ものごとは何でもが、様々なあり方で共存している。でも気づいたら、なぜこうなっちゃったんだろうと不思議に思うほど、どうしようもなく変化している。

私はその中で、多くの見方を知っていたいと思う。その中で、自分がよしとするやり方、気分のいい方法を守っていきたいと思う。

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