第6話/ジャーナリスト/ここまできた世の中だからこそ


虹色の服
灰色が導く ジャーナリストの仕事

原爆投下の理由
絵本の国のいま


バスで知り合った山あらしと、山あらしのお母さん、双子の弟たちと、うさぎ、きらら、トゥラルパンは、山あらしの家の屋上で話し合っています。


待つ(エスペラール)と希望(エスペランサ)

ここまで来た世の中だからこそ
絵本の国のおもしろくないデモ


かつて虹のような暮らしに満ちていた絵本の国のいまと行く末。「豊かな」国に起こっていることを、外側から眺めてみると分かる、はっきりとしたいくつかのこと。



第6話、たくさんの日本の人に読んでもらいたい文章です。

絵本の国。この言葉は、日本のことを指しています。

たくさんの基地帝国の基地が立ち並ぶ、この国。

虹のような輝きをすっかり失ってしまった絵本の国を、うさぎくんたちも悲しんでいます。

“希望が死に絶えて、生きていることの誇りも、未来も、感じられなくなる時が来るはずでした。
そうなる前に、うさぎたちは、絵本の国の人たちに、希望について何か伝えたい、と思っていました。”
 第6話 187頁

行ったことがあり、絵本の国が好きになってしまったという、うさぎ、きらら、トゥラルパン。絵本の国の異常なあり方を心配しています。


確かに異常ですね。どうしてこうなってしまったんだろう?こわいことは見ないように、見ないふりをして、ここまで来てしまったんだろうなと思う。


絵本の国の民族衣装のひとつに、着物があります。

着物。私たちのひとつ上の世代の人は、誰でも持っている服です。私たちの世代では、持っている人は少ないです。必要になったら借りるものになっています。一部の冠婚葬祭、子どもの入園・入学式、七五三などに着用されることがあります。あとは茶道をたしなむ場合。

私は去年、二人の母から着物を譲ってもらい、季節に一度、お祭りの時などに着ることにしています。私たちの世代では着方も分からないので、テレビで勉強しました。

そうして着物で出かけた先であった知り合いから、「除外の目」で見られることを知りました。

「除外の目」ってどういうことかと言いますと、着物と見ると一目で「ああ、キモノね、私には関係ない服だわ」という、競争相手から外される視線というのを投げられるのです。洋服同士なら、値踏みして、自分と比較して、判断しなくちゃならないんだけど、キモノとは戦う必要がない、という無意識の視線。

着物は土俵外の服なので、ともすれば一目で「綺麗ね~」なんて微笑まれたりもするわけ。

着物の着方を知ると分かるのですが、着物と一言で言ってもとても奥深くって、色合わせなどの着こなしのヴァリエーションはものすごく豊富なのですが、今の人たちはそういうことを知らないので「キモノはキモノ」、評価も判断もないのです。

洋服だとこうはいかなくて、「どこのブランド」「どんな色合わせ」「着崩し方は」「小物合わせは」「メークとのバランスは」「肌見せの割合は」「アクセサリーとのコーディネートは」…という具合に果てしなく判断される。自分より「美しい」か否かのあらゆる評価が下される。

これは着物を日常で着てみるまで知らなかったことでした。

これを一度味わうと、着物がまったく億劫じゃなくなるんです。

着物を着るの面倒くさいと思うでしょう、でもぜんぜん面倒じゃない。判断から外れることができるから、すごく楽。一度着てしまうと毎日着たくなるくらいなのですが、それはそれで面倒なことになるので、しないのですが。


どうしてこうなっちゃったんでしょうね。

「着物を日常の服装にしよう」と言ってるわけではなく、どうしてそんなに競争しないといけなくなってしまったのだろう、と。


どこか間違っている気がする、何かが違う…そんな人に、うさぎくんたちはヒントを与えてくれる。豊富に湧き立つ泉のような、ヒントを。

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